名古屋空襲資料室・その3 |
この場所で陶片を探していたら、こんなモノが見つかりました。 割れた高台部分を持つ陶片二つが、熱によって熔けたモノでくっついていました。 それにガラスが熔けて、そのまま固まったモノも見つかりました。表面の一部は弱く銀化していました。 近くを通りかかったお爺さんがいましたので、前と同じように、このあたりで火事があったかを尋ねてみました。すると、「火事などこのところは無いけど」との返事。熔けたガラス壜などを見せたところ、「わしがこのあたりに住むようになったのは戦後だけど、戦争中は空襲で焼け出され、このあたり焼け野原だったそうだよ。ちょうどこのあたりにカフェがあったとか聞いたこともあるけど・・・」 これで納得がいきました。熔けたガラス片がいたるところで見つかる理由が。 名古屋市内で広範囲にわたって熔けたガラスが分布しているのは空襲による火災が起き、その高温によってガラスが熔けて変形し、それが固まったものができたのでした。 2007年秋、熔けたガラスのクリーム壜を拾った名古屋市北区新堀町(Point-A)から、およそ1キロ北東にあるのが今回の道路拡張工事現場(Point-B~F)なのです。 名古屋は昭和20年を中心として、連合国側から度重なる空襲を受けました。この現場近くには三菱の軍需工場もあり、特に重点的に攻撃を受けたようです。 名古屋空襲に関しては愛知県のこのページに全般的な資料があります。 |
by crazylovers
| 2008-04-03 19:27
| 名古屋空襲資料室
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