アイ・ラブ・マルゼン-2 |
さて、丸善は第二弾に突入です。 「あんたは丸善のまわしもの?」かって・・・いえいえ、そんなことはありません。ただ、好きなだけなのです。 今回は、けっこうボリュームがありますので、そのつもりで・・・。 円筒形のインキ壜を見つけた現場で、おかしな甕を見つけました。 土管のような雰囲気のもので、焼き物の甕。直径が10センチほどで高さは20センチ強。 口にはコルク栓があり、真っ黒く変色していました。そして口元は錆びつき怪しい雰囲気・・・ひっくり返したらどす黒い液体が滲んできましたので、まさか毒物では・・・と思い、記念写真だけ撮っておきました。それがコレ↓↓↓↓↓ 大雨の降った後、もう一度この甕を見たら、きれいに洗われてこのマークが見えた。 円の中にはMと、★MARUZENINK★TOKYOの文字が・・・ってことは、このどす黒い液体はインキかも・・・そう思って、丸善の帰りにピックアップしてきました。 なかなか風格のある甕・・・と言うか壜ですね。 上のマークは、注ぎ口の真下にありました。 ネットで丸善HPを見ましたが確認できず、検索をかけたら常滑焼のようです。 そんなわけで、常滑市にある常滑民族資料館に何か手がかりはないかと行ってきました。 ここはやっぱり常滑焼の資料館、入り口からデッカイ甕がお出迎えなんです。 入場無料の常滑民族資料館に記名をして入り、薄暗い資料館の展示をつぶさにみてまわりましたが、土管や甕はたくさんあれども、このインキ甕は見当たりませんでした。 そう簡単に見つかるもんではないし・・・このまま何処かに行こうかとも思いましたが、気を取り直し受付嬢に尋ねてみました。すると、「しばらくお待ちください」との返事。 しばらくして登場したのは、学芸員らしいおじさん。 インキ甕のことを尋ねると、「作っていました。田中製陶所ってところで。展示はしてありませんがモノはあります」そんなわけで実物を見せてもらえることになりました。 これが収蔵品です。マークは★が・になっていますが、ほとんど同じですね。 作りは同様に轆轤引きでした。こうした製品、今の感覚からすれば型に入れて作るのですが、昔は上手な職人がいて、同じ量の粘土で、同じ大きさのモノをどんどん作り出していたのでしょうね。収蔵品は白い胎をしており、釉薬もとろっとした「梅干の甕」に使うような鉄釉がかけられていました。 資料館でコピーさせていただいた資料によれば次のようにある(一部省略) 大正時代になると陶製インキ瓶は丸善アテナインキの容器として大量に出回った。常滑の田中錦二が生産しているが、最初に依頼されたときの記録は無い。 そして、博覧会への初出品は明治43年の共進会であって、田中錦二が陶製インキ瓶で褒状を受賞し、審査報告でも「食塩釉炻器の日用品」及「インキ」壷の製造の如きは其土質に適当なり」と特筆されている。また、大正11年には銅牌を、昭和3年には銀牌を受賞して段々認識されるようになった。 ところが、田中錦二は昭和に入って陶製洋酒瓶も手がけるようになる。昭和8年発行の日本窯業大観によれば、「田中錦二 愛知県知多郡常滑町 現状商品 インキ壷(丸善株式会社に納入) 洋酒瓶(ウィスキー、キュラソー等) 陶官 年産額6萬円(50萬本) しかし、主力商品だったインキ瓶に対して、その頃丸善インキから出荷停止の支持が出た。容器をガラス瓶に切り替えるためであって、その後しばらく丸善は、田中に対して製造品種転換の為の資金を送金してきたと言う逸話がある。 (以上は常滑民俗資料館研究紀要Ⅷ、柿田富造 「近代博覧会に見る常滑焼小細工品の流れ」より抜粋) このようにして、丸善のインキ甕や壜たちとの不思議な出逢いがあった。常滑の資料館まで足を運ばせるのも、大好きな丸善というブランドが関っているのかもしれない。 さて、ここでうちにある丸善のインキ容器大集合。もちろん割れたモノは省いてある。 左側の小ぶりな壜は、前に日長崎のハケで入手した壜で裏にはMの文字しかない。そして口には外側にネジが切ってあるので、戦後のものではないだろうか? さて、掘り出してきた常滑焼のインキ甕は、風合いが良く、何かに使えそうだ。 かと言って、これにインキを入れるのでもなく、このように花瓶におさまった。口が小さいのでたくさんは生けられないが、一輪挿し、二輪ざしあたりだろう。 これが見たいと思われたら、ぜひ我が家に遊びに来てください。玄関で季節の花とともにお迎えしています。 さて、陶片狂さんのリクエストにお応えして底をアップしときます。 |
by crazylovers
| 2008-05-23 17:52
| 名古屋空襲資料室
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Comments(10)
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のら
at 2008-05-23 18:49
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丸善、私も好きでした。でした、と過去形なのは今住んでいる近くには丸善が無く、縁が無くなったからです。
でも札幌に住んでいた二十代の頃は、パルコ、その向かいの丸善はお決まりコース。特に絵本や絵本の洋書版を見るのが好きでしたね。 こじつけで言えばマークのMも私の旧姓と名前と同じですから。 インク瓶にこんな焼き物があったのは初めて知りました。 なかなかよろしいですね。ラベンダーの次は何の花が活けられるのかな 。
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beachcomberjp at 2008-05-23 20:10
のらさん、
過去形の丸善、何か若い頃の思い出がいっぱい詰まっていそうですね。 わたしも陶製のインキ容器があったのには驚きました。それにしても、この量って半端な量ではないですよ。 ラベンダーの次は、青いヤグルマソウでも活けましょうか?
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陶片狂
at 2008-05-23 21:20
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今、帰ってきました。ドキドキしています。なんて美しいんでしょう。どちらかというと、資料館の収蔵品よりも、拾われたこちらの方がよりいっそう素敵だと思います。油滴のよういな地肌、注ぎ口の形も美しいですねえ。ガラス瓶も凄いけど、これはもう・・・良かったら今度、底の写真も見せて頂けると嬉しいです。広島だって、丸善のインキ壷買った人もいたはず。もし、そのうち割れたのを拾うことがあったら、またぜひアップしてくださいませ。内側や底の様子も見ておきたいです。たとえ破片でも、もし拾えれば、この美しい姿を想像して幸せに浸れるでしょう。これが商品の容器だったなんて。明日は休みですから、少し前から溜まってしまって、気になっているものに取り組みながら、ときどきこの写真を見て楽しみましょうか。
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beachcomberjp at 2008-05-23 22:37
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おじ
at 2008-05-23 23:54
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うっ、うらやましすぎる拾い物。
完品ならではの使い道ですね。くれぐれも枕なんぞにしないようにお願いします。
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YUKI
at 2008-05-24 00:58
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これはまた素敵な拾いものですねー!
インクの容器に焼き物が存在したのは知りませんでした。 海では…やっぱり割れちゃってダメかな~(^^;) 陸ならではの完品でしょうか?! 勉強させていただきました(^-^)
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beachcomberjp at 2008-05-24 09:27
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beachcomberjp at 2008-05-24 09:29
YUKI さん、
酒の甕はありましたが、インキの甕は思いも寄りませんでした。 この壜、メッチャ重くて分厚いのです。だから割れなかったのでしょう。海でも転がっていると思いますよ。 丸善が続いて出ましたが、まだあったのです。
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尚 nao.
at 2008-05-25 10:16
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おおおぅ〜!
この前の薬壜も素敵でしたが、これはまた凄い一品ですね! 製造時(期)の違いかもしれませんが たしかに収蔵品のものより、ずっと味わいのある質感ですね。 しかもガラスビンになる前のものである可能性が高いわけですね? そんなものが完品で出るなんて、もう素敵すぎます☆
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beachcomberjp at 2008-05-25 11:00
尚さん、
大正時代から、昭和初期にかけて作られていたようなので、イロイロなバリエーションがあるようです。 ただ、すごいと思ったのは、これを型ではなく、轆轤で作ったと言うこと。職人芸がしっかり栄えていた時代だったのでしょう。 これだけ立て続けに・・・ハケ運を使い果たしました。 |
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